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続・身分相応の幸福(後編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

貧血で倒れた同級生の女子生徒も、先生に付き添われながら無事に

卒業生退場の花道を皆と一緒に拍手に包まれて退出し、先生とクラスの

全員が一旦、教室に戻り、保護者が教室の後で見守る中、6年生最後の

「ホームルーム」が行われた。

卒業式の直後で、これが終わればもう明日からはお別れ、という惜別

ムードが漂う中、先生が話しはじめる・・・



5年生、6年生と2年間、このクラスを受け持って、今日の卒業式の皆の

姿を見て、2年間で本当に成長したと感動している。

もちろん、健康に過ごせて見た目も立派になったが、それ以上に皆が

成長したと実感する出来事が卒業式の数日前にあった。

給食が済んだ昼休み、たまたま教室の隅に置いてた水を張ったバケツを

1人の子が蹴躓いてひっくり返してしまい、あっという間に床が水浸しに

なってしまったらしい、すると教室内でおしゃべりしてた子はもとより、

廊下でふざけあってた子までが、それぞれ手分けして雑巾で床を拭いたり

机や椅子を避けたりして、瞬く間にきれいにしたらしい。

それを申し訳なさそうに報告した当事者の子の横で、片付けた子が

「でもね、先生、皆で協力して片付けたらすぐに終わったんだよー」と、

嬉しそうに言った時、本当にこのクラスの子たちは成長したなと胸が熱く

なった。

「困ってる人の為に、当たり前のように自分の時間を割いてあげれる人」

「当たり前のことを、当たり前に行動できる人」

担任を受け持った時から、ずっと皆にはそういう人になってもらいたいと

願いながら接してきたので、嬉しかった。これからもそういう大人になって

欲しい。


最後の挨拶とともに、先生はそう語った。

幸運続きの1年間だった息子だが、何よりの幸運は、きっとこの先生に

2年間受け持ってもらえたことだったのではなかろうか。

私自身は保護者会や授業参観に出た事はないので、担任の先生を

まともに見るのは最初で最後だったが、2年間、勉強以外の大切な事も

きっとしっかり教えて下さってたのだろう。そう思った。

ちなみにこの担任の先生は「痩せガエル軍団の奇跡」で、敢闘賞を

もらった相撲チームの監督でもあった。

あの一件以来、先生は困った時は、エコヒイキにならない程度に

息子を頼りにしてくれたらしい。


こうして最後のホームルームも終わり、息子の6年間の小学校生活も

終わった。


実は卒業式が終わったあと、担任、卒業生、保護者が、近くの公民館に

ゾロゾロと移動して、そこで「親に感謝を伝える会」なるものが行われる。

文字通り、子供が家族への感謝の手紙を読んだり、歌を歌ったり、

在学中のエピソードをクイズにしたり、入学当時と卒業直前の写真を

1人1人くらべてスライドの大画面に映したりするのだ。

内容自体は2年前の長女の時と全く同じだったが、やはり息子の時

には息子の時の感動があるものだ。

それにしても6年間なんて、過ぎ去ってみればホントに「あ!」と言う間の

夢のような時間だった。

6年前の入学式、今日からこの学校にお姉ちゃんと毎日通うんだぞ

と、記念写真を撮った日のことが、かなり美化されて思い出される。


1人の子供が6年間過ごす中で、親の責任は勿論重要だ。

しかし、その成長の過程には親だけでなく祖父母、親戚、近所の人たち

や友達、友達の親、そして先生と、実に沢山の人々の愛情に守られて

生かされているというのを、2年前と同じく痛感させられる。

そしてウチの子だけでなく、共に巣立ってゆく1人1人全員の将来が、

幸多きものでありますようにと祈らざるをえなくなるのだった。

生活水準が相当低い暮らしの我が家だけれども、この気持ちを

ささやかではあるが、「幸福」と呼ぶのだろう。


これから先、どのような道に進んで、どんな大人になるだろうか、

親が親なのであまり過剰な期待はしてないが、せめて、周囲への感謝の

気持ちをいつも忘れず、せっかく生きてるのだから夢を大きく持ちながらも

「当たり前のことを当たり前に出来る」人間でいてほしいと願いつつ、

この、無駄に長いシリーズを終わりたいと思います。


こんな親バカ誰得シリーズに最後までお付き合いくださった奇特な皆様、

心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました [わーい(嬉しい顔)]

(おわり)

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「オトンは厄年、息子は当たり年」








続・身分相応の幸福(前編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

「オトンは厄年、息子は当たり年」と題して長々と書き綴ってきた、この

シリーズも、いよいよ第三部の「続・身分相応の幸福」で完結です。

何で「続」と付いてるかというと、2年前に長女がこの小学校を卒業した時の

記事が「身分相応の幸福」というタイトルだったからです。

特に深い意味はありません。ニャハハハハ。

それではもうしばらく、ご辛抱してお付き合いくださいませ。




「続・身分相応の幸福」

平成26年3月・・・

6年生に進級してすぐの子供すもう大会で、2回戦敗退にも関わらず、

まさかの「敢闘賞(団体の部)」をいただいてから、地区の大運動会での

優勝に貢献するほどの大活躍など、それだけでも1年間の良い思い出に

なる出来事だったが、その他にも学校のクラブのサッカーチームでも

試合でチーム内のMVPに選ばれて副賞に、置き場に困るくらい大きな

ポスト型の貯金箱をもらったり、助っ人で参加したクロスカントリーリレーの

大会で、見事、チームが優勝したうえ、個人で区間賞まで受賞するという

快挙も成し遂げていた。

これと言って何の取り得もない息子の、6年分の幸運がすべてこの1年に

凝縮されたような、怖いくらい出来すぎな1年間だった。

あとはもう無事に卒業式を迎えてくれれば、ホントに感謝で小学校生活を

終えられる、父親である私は災難続きだったが、息子がこれだけ恵みを

受けれたのならそれも本望である。そういう気持ちでいっぱいだった。


そんなダメおやじの、けなげな思いが天に届いたか、神様は最後の最後

まで憎いまでの演出を準備してくださっていた。


卒業式の当日、卒業生代表として記念品を受け取るという大役を任された

というのだ。

これがもし、「自分で立候補した」とかだったら、この1年間でもう充分

いい思いをさせてもらったんだから、そういう大役は他の子に譲ってやれ

と辞退させようと思ったりしたが、なんと推薦で選ばれたという。

それも担任の先生の 「6年間で1番、成長したなと思う人を挙げて」

という問いかけに多数決で殆どの同級生が息子を選んでくれたという。


泣けた。


話が出来すぎていて、ちょっと心配になったので何回も息子に

「ホンマに皆が推薦してくれたんやろな、ホンマやな?」と問い質したが、

どうやら本当のようだった。


そして迎えた卒業式当日

式自体は私自身が小6だった30数年前とほとんど変らなかったが、

もちろん当時は自分の子供の卒業式のことなんて想像もしなかった。

息子は優等生という言葉とは縁遠い子供だったが、それほど問題児でも

なかった。とはいえ4年生ぐらいまでは、しょっちゅう学校から呼出しが

あったし、家の前で野球やサッカーをしてガラスも何枚も割ってくれた。

その割れたガラスの隙間から、3年前、当時まだ半ノラ状態だった

ニャアコが、雨の真夜中に家の中へ危険を顧みず突入してきたことも、

今となってはいい思い出だ。


終盤で同級生の女の子が貧血で倒れるという信じられないアクシデント

があったが、なんとか無事に卒業式は終わった。

卒業生代表として記念品を受け取った息子も緊張し、ぎこちない動き

だったが、大役をやり遂げた。

わずかな時間ではあったが、一連の流れがスローモーションに感じる

ような感無量の数分間だった。


貧血で倒れた女の子も、最後は先生に支えられながら自分の足で

同級生と退場出来てひと安心だった。

ちなみにこの女子生徒は、3年生のウチの次女が学校のクラブで

やってるバレーボール部のキャプテンで、後輩である次女を可愛がって

くれてたみたいで、次女も、日頃慕っていたキャプテンが突然前触れも

なく式の途中で倒れるのを在校生側の席から目撃し、心配で心配で

仕方なくて、自分の兄貴の晴れ舞台どころではなかったらしい。


なにはともあれ卒業式も終了し、恩恵と幸運に満ちた息子の1年間も、

無事に締めくくることが出来たのであった。


(つづく)
















走れ息子 (後編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

午後からの後半戦の前に昼食の時間になった。

会場である小学校のグラウンドに、それぞれの町内のテントが所狭しと

ひしめきあって、その中で沢山の親子が、それぞれ持ち寄ったお弁当を

楽しげに食べている光景は、賑やかで微笑ましかった。

テキ屋も大繁盛で、ちょっとしたお祭り気分である。


後半戦が始まって、いくつかの競技が終了した段階で、20チーム近い町内の

うち、優勝の可能性があるのは上位5チームほどに絞られていた。

最初のほうこそ「今年もダメかな」と諦めかけていた我がイロドリ町チームも

マラソンでの驚異的な点数の加算により上位グループに躍り出てからは、

常に2位から3位をキープしていた。

う~ん、せっかくここまできたんだったら優勝したい!


競技の度に一進一退の攻防が繰り返される中、後半最初のヤマ場、綱引き

の決勝が始まった。

1回勝ち進むごとに点数が加算されてゆくので、優勝すれば結構な点数に

なる。ライバルを引き離すには絶好のチャンスだ。これを制すれば最後の

総合リレーでも相当有利になるはずだ、行くぜ!


・・・が、私も選手として参加したこの綱引き決勝は、まさかの4位で終わって

しまった。

嗚呼!2大会ぶりのV奪還は、やはり無理だったのか・・・

いや、事実は小説より奇なり、何とこの綱引き決勝、ウチだけでなく

上位チーム揃ってどこも3位以内に入ることが出来なかったのだ。

総合優勝の可能性がないチームばかりが1~3位を独占したおかげで、

綱引き決勝という重要な競技での大きな順位の変動はなかったのだった。


そして


最後から2つ目の競技でイロドリ町チームは1位を獲り、最後のリレーを前に

遂に現時点でのトップに立つ!

とはいえ最終種目を待たずに優勝できるほど甘くはない。

2位、3位のチームとの点差は、有って無いような文字通りの僅差である。

要は、リレーで1位になれば逃げ切りで文句ナシの完全優勝だが・・・


泣いても笑っても最後の競技、運動会の華、総合リレー。

予選を勝ち抜いた6チームの10代から60代までの選ばれし

男女、計12人が入場門からグラウンドの中央へと進んでゆく。

「総合」としつこく連呼するだけの価値はある圧倒的な光景だった。


息子は10代男子代表で、午前中に行われた予選に続いて再び出場した。

前日の土曜日、クラブのサッカーで3試合をこなし、翌日にリレーの予選、

マラソン、そして決勝である。無尽蔵の体力を誇る小学生の男子でも、

さすがに疲労の色が見えはじめていたのか、唇がカサカサになってたのが

印象的だった。

このリレー、アンカーは60代女性だが、最初の走者は10代でからはなく、

たしか40代男子からスタートし、10代男子は最後のほうだった。


「位置について・・・よーーーい・・・」

スパーーーーーーーーーーーーーーーーーン!


最初の走者である40代男子6人が一斉にスタートする。

ドドドドドドドドド・・・・・・・

プロの陸上ランナーではない、単なる市井のオッサンたちとはいえ、大の

大人6人が全速力で走ると凄まじい地響きがするものだ。

午前中の予選の時には意識してなかったが、かなりの迫力である。


この年、大流行だった「あまちゃん」の軽快なメロディがエンドレスで

流れるグラウンドに歓声が湧き、それぞれのチームの各世代の選手たち

が全力で駆け抜けバトンを託してゆく姿は感動的だった。

が、しかし!

「?」

最初の40代男子のあと、どういう順番だったかは覚えてないのだが、

見ているうちに、少しずつ少しずつ差が開きだした。

それもウチのチームが抜け出すのではなく、逆に離され始めたのだ。

我がイロドリ町は足の速い「韋駄天」揃いだが、やはり他チームも

さすがに予選を勝ち抜いた強豪だ。気がつくと3位になっていた。

前を走る2人が果たしてライバルチームの選手なのか、それとも優勝の

可能性が消えてるチームなのかまではわからない。

一向に差が縮まらないまま、いよいよ息子にバトンが渡った!

6チームのうち既に2人はもう前を走っている、頑張れ!


ウワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!


決して大げさな表現ではなく、我が町内のテントから叫ぶような

割れんばかりの大歓声が湧き上がった。


息子が走っている。裸足で。すごいスピードで。


まるで足に羽根が生えてるかのような凄まじい速度でグングンと前の

2人を追い上げてゆく。速い!

遂に2位を走る選手を捕らえ、抜いた。

うおーーーーーーーーーーー!行ったれーーーーーーーーーーーー!

テントの中はもう大絶叫である、トップの選手まであと少し!抜けるか?

だがいくら小学生とはいえ、全速力で走ればグラウンド1周は、あっと

言う間だ。残念ながらトップの子を抜くことは出来ず2位でバトンを託す。

続く10代女子の子も2位をキープしたまま快走し、今度はウチの町内の

切り札である30代男子の選手へ。

うわーーーーーーーーーーーー!

抜いた!

ついに抜いた!この人の尋常でない足の速さを知ってる近所の人は、

必ず抜いてくれると皆が信じていたが、期待を上回る別次元の走りで

トップを抜き去ると今度は逆に2位との差を広げ、かなりの余裕をもって

30代女子の選手へ。この年の体育部長の奥さんであるこの女性は、

選手で出れる30代の女性が他に居ないということで、旦那に説得されて

渋々引き受けたらしいが、どうしてどうして、4児の母とは思えない見事な

走りっぷりで、差を縮められることなくトップで60代男子にバトンを渡す。

最後の60代の男子・女子はさすがにグラウンド1周を走らせるわけには

いかないので、男子は半周、アンカーの女子は4分の1周だ。

2大会ぶりのV奪回の願いを込められたバトンが60代男子、そして

アンカーの60代女子へと託される。

下手な若者よりも元気な60代とはいえ、おじいちゃん、おばあちゃんが

全力で走ってるのは、いろんな意味でハラハラしたが、最後の走者、

60代女子の選手がゴールのテープを切った時、我がイロドリ町の

2大会、3年ぶりの優勝が決定したのだった。

何という劇的な幕切れだろうか。

気力と体力を使い果たし、プレッシャーから解放されて疲労で

へたり込んでいる息子が誇らしかった。


そして閉会式・・・

ほとんどの人たちが、この後それぞれの町内の公民館で行われる

「慰労会」という名の宴会の準備の為に閉会式を待たずに帰るので、

人影はまばらだったが、表彰式はキチンと行われた。

嬉しいことに、マラソンの3位と小学生の部の優勝がちゃんと表彰され、

小学生の部では優勝カップまで授与されていた。

「まあ、あのマラソンのおかげで優勝できたみたいなもんやからなぁ」

私の後ろに整列していた近所のおっちゃんが誉めてくれた。

なんの取り得もない息子ではあるが、この日に限っては、日本一の

息子である。

日本一・・・そう、優勝カップと表彰状を授与され、振り向いて恥ずかし

そうに照れながらお辞儀した息子の姿を見た時、30数年前の伝説の

名番組「びっくり日本新記録」のエンディングのア~ア~ア~ア~♪

というコーラスと、あの名調子が心の中に響き渡ったのだった。

「おめでとう!にっぽんいちーー!」


「オトンは厄年、息子は当たり年」

第2部「走れ息子」   完


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記録・・・それはいつも儚い

一つの記録は、一瞬のうちに破られる運命を、自ら持っている

それでも人々は記録に挑む

限りない可能性と、ロマンをいつも追い続ける

それが人間なのだ

次の記録を作るのは、あなたかもしれない



「びっくり日本新記録」エンディングナレーションより




走れ息子 (中編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

約20の町内の住民たちが、毎年小学校のグラウンドに集結し、熱い戦いを

繰り広げる「地区の大運動会」

私が体育部長だった2年前は台風の為に中止になってしまったが、昨年は

見事に晴れ渡った絶好の運動会日和だった。

それぞれの地域が定められた場所に町名の書かれたテントを張り、さらに

その周辺に、テキ屋も出店したりして、もう本格的で、実に壮観な眺めだ。


前々年の優勝チームである町内の体育部長の選手宣誓が行われ、いよいよ

運動会が始まる!


約20の地域とはとはいえ、もちろん住民の多い少ないは当然ある。

我がイロドリ町は戸数的には標準だが若者が比較的他の地域より多く、しかも

その「イマドキの若者」よりも遥かに血気盛んな50~60代が数多く存在しており、

この「地区の大運動会」では3年前まで何と9連覇していたのだ。

3年前に王座を明け渡し、奪還を目指した前年は台風で中止、ということで

昨年の大会は例年以上にご近所さんも燃えている!・・・はずだったが

いざ競技が始まってみると、どうも順位がイマイチ奮わない。

私も”小3の次女を抱えて平均台を渡り、椅子に置いてある風船を尻で割る”と

いう何だかよくわからないキワモノ競技で1位になったり、それなりにチームに

貢献してるつもりだったが、やはりV9の威光が消えたのは、他の地域にとって

心理的に有利に影響してるのか、ご近所さんたちの頑張りも虚しく、順位的には

優勝争いの集団からちょっと離れた2番手グループといったポジションだった。


前半戦の半ばに「マラソン」という種目が行われる。

小学校を出発し、あらかじめ決められている数キロのコースを走ってくるのだ。

年齢性別の制限も参加の強制もなしだが完走しただけで、まず1人1ポイント

もらえて、さらに到着の上位にはそれ相応のポイントが加算される仕組みに

なっていて、息子も友達と一緒に大人に混じってスタートした。


さて、運動会の花形と言えば「綱引き」と最後の「リレー」だろう。

この2競技は午前中にまず、予選を行い20チームから決勝に進む8チームを

選出しておくのだが、イロドリ町は足の速い人が多くて、リレーは楽勝で予選を

通過し、今度は綱引きの予選へ。

たまたまウチのチームの試合中に実行委員からのアナウンスが流れる。

「ただいま、マラソン参加中のトップの選手がグラウンドに戻ってまいりました!

皆様、あたたかい拍手でお迎えください!」

両チーム、綱引きの綱を一旦下ろし、戻ってくる選手を拍手で称える。

トップで帰ってきた選手は、どこの地域の人か知らなかったが、見るからに走り

慣れてる感じの人で、フォームもキレイで息も全くアガってなかった。

「おおーーーーーーーー!!」

しばらくして歓声が一際大きくなった。

2位の選手に続いて戻ってきたのは小学校の体操服を着た男子だった。

町の名前を書いた胸のゼッケンが捲れて何処の子かわからない・・・いや、

私にはすぐわかった。

息子だ。

学校の外からグラウンドに戻ってきて、大きな歓声と拍手に迎えられながら

ゴールを目指すその姿は、さながら「走れメロス」のようであった。

大人もたくさん参加してる中での全体での3位は快挙である。

もちろん小学生の中ではブッちぎりの優勝だ。

”そこそこ足が速い”という理由で運動会では常に「走り系」の競技にエントリー

される息子だが、ここまで見事な成績を残すのは初めてではなかろうか。

やがて一緒にスタートした友達や、その他の参加選手も続々と帰ってきて

中断していた綱引きの競技が再開されたのだが、私の前で綱を握っていた、

この年の町内会長が驚いた様子で私に言った。

「アンタんトコの息子、凄いなあ」

私も鼻高々だったが、ここで私が天狗になる必要もなかったので

「いやいや、ここの町内の子もみんな完走して立派ですよ~」

と、謙遜し、ヨイショしておいた。

この、息子の快挙は個人的な喜びだけでなく、我がイロドリ町チームに

とっても予想を遥かに上回る効果を生んだ。

全体の3位に加えて、小学生の部での優勝というボーナスが加わって、

ありえないくらいのポイントが加算され、我がチームは一躍優勝争いの

一角へと躍り出たのだった。

「しかし、マラソン様さまだな」と、町内会長。

「まさにウチにとっては”ドル箱競技”ですなあ」と、イロドリ。

「クククククク・・・」

「フフフフフフ・・」

と、まるで悪代官と越後屋のような会話を町内会長と交わしながら

綱引きの予選も無事に突破し、昼食の時間を挟んで、運動会は

大混戦の後半・午後の部へと向かうのでありました。



(お詫び)

前回の前編で「次回、後編につづく」とかいておきながら、やっぱり

今回も前・後編の2回では収まりきれず、3回になってしまいました。

ゴメンチャイ [たらーっ(汗)]

と、いうわけで1回延びただけの価値はある(はず)、感動必至の

次回、後編をご期待ください~!ホント、サーセン [あせあせ(飛び散る汗)]











走れ息子 (前編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

「オトンは厄年、息子は当たり年」

第二部 「走れ息子」



小学校6年生・・・6年間の小学校生活、最後の1年。

進級早々に行われた県内の「子供ずもう大会」で、全く予想も期待も

しなかった敢闘賞(団体の部)をいただき、幸先の良いスタートを

きった6年生の日々も、修学旅行、運動会と1つ1つ行事を終えてゆき、

夏休みが過ぎれば、残り半分である。

ちなみに今回の記事を書くにあたって、事実確認のため、息子に

「すもう大会って修学旅行の何日前やったっけ?」と尋ねると

「2日前。もう、体が痛くて痛くてたまらんかったわ」との事だった。

そりゃあ、修学旅行の2日前だったら誰も出場したがらないのも無理は

ない、廻し姿が恥ずかしいとか以前の問題だなコリャ。


2学期になってすぐ、町内の運動会が行われ、その1週間後に今度は

町内対抗での地区の大運動会が行われる。

こちらの地方は農家が大半で、秋は収穫で忙しくて親が応援に行けない

ということもあってか、学校の運動会は春のうちに済ましてしまうのだ。


町内のご近所さんが1つのチームになって参加する、地区の行事は

卓球大会、ソフトボール大会など、1年のうちに5回あり、大運動会は

その最後を締めくくる最大のイベントだった。


この、地区の大運動会・・・

私にとっては実に苦い思い出のある行事であった。

「まさかの結末(前・後編)」という記事でも書いたのだが、この前年、

町内の体育部長だった私はこの最後の行事で、前日の準備に集合

しないといけない日時をすっかり忘れてしまっていてすっぽかして

しまったのだ。

20チーム近い町内の各体育部長で、来てなかったのは私だけだった。

悪いことに、この年の大運動会の運営の総責任者がウチの町内会長で、

よりによって唯一来ていないのが自分ところの体育部長だというので、

それはもう「恥をかかされた!」と超ブチ切れ状態で、何故か嫁いでる娘

までもが「父の顔に泥を塗った!すぐ詫びに行け!」と電話をかけて

きたりしてもう散々だった。 まあ、忘れてた私が悪いのだが。

これで、まだ大会が行われていたら汚名返上のチャンスもあったのだが、

何と台風が接近中ということで最大・最後の行事が中止になってしまい、

名誉挽回のチャンスは訪れないまま最悪の形で、1年間の体育部長と

しての勤めを終えざるを得なかった。

もちろん、わざと準備に行かなかったわけではなく、仕事が終わって

帰ってきてからすぐ町内会長宅へお詫びに伺ったし、その当日は怒り

心頭だった町内会長も、年末の役員総会の慰労会の時には酌をして

「体育部長、1年間お疲れ様でした。いろいろ大変やったけど有難う」

と、労ってくれて、お互いに役目を終えた翌年からは、会う機会も殆ど

なくなった。

とはいえ1年間、慣れないながら頑張った体育部長としての最後が

悲惨な形で終わってしまったという、いわくつきの行事であったのだ。


あれから1年・・・

昨年の大運動会の当日は見事な快晴だった。

8月には熱中症警報が出されたほどの暑さだったので、9月も残暑

は厳しかったが、晴れ渡った空の色は真夏の時のそれとは微妙に

違った色に見え、わずかながら秋の気配を感じさせていた。

中止になった前年を除き、毎年、家族全員で参加していた運動会。

今回、長女は中学の吹奏楽部の秋の発表会の追い込みの猛練習

で来なかった。

運動会に限らず中学に入ってからは部活の練習が忙しくて、家族で

揃ってどこかへ行くという事がめっきり減ってしまった。

こうして子供も少しずつ成長し、やがて親元を離れてゆくのだろう

・・・などと思ってるうちに、開会式が始まろうとしていた。


(中編につづく)

























痩せガエル軍団の奇跡 (エピローグ) [オトンは厄年、息子は当たり年]

こうして、息子がチームの大将として戦った「子供ずもう」の団体戦は、

たいした見せ場も、まさかの大番狂わせもないまま2回戦で姿を消した。


東京で行われる「わんぱく相撲」への予選も兼ねた大会であり、その

本戦への切符を賭けて、県内からツワモノ小学生が集うのだ。

この日の為に放課後のクラブ活動で相撲をやっている学校もあるだろう、

ひょっとしたら授業の一環として体育の時間に取り入れてるところも

あるかもしれない。体つきから廻しのフィット感まで全てが別次元だった。

そんなチームと戦って勝てるとは最初から思ってなかったので、まあ、

とりあえず修学旅行前にケガしなくて良かったと、胸を撫で下ろし、

個人戦を見ることなく家路に着き、用事を片付けていると、あっと言う間に

夕方になって息子が帰ってきた。

「ただいまー」

「おう、お疲れやったな」

「オトやん、見て見て!米もらってきたで!」

見ると息子は5キロサイズの米の袋を抱えていた。

「うお!? なんやそれ、参加賞でそんなん貰えるんか?」

「違うわいな、俺らのチームが敢闘賞に選ばれたんや」

さすがに、参加賞で5キロの米を全員に配る大会ってどんなんやねん、

って感じだが、それ以上にお前らが敢闘賞って何やねん!とツッ込んで

しまった。

「なんかな、試合のマナーとか礼儀が良かったチームが貰えるねんて」

「へー、マナーとか礼儀ねえ・・・って、お前ら2回戦で負けとるがな」

「だよなあ、なんでやろなー、不思議やわ」


確かに息子は、明らかに勝てそうにない相手に対しても、奇策を

用いることなく無謀にも正面からぶつかり、秒殺され、土俵の外に

投げ飛ばされても、キチッと挨拶して勝者に敬意を表していた。

が、参加約20チームの中で、わずか2回戦で消えた息子のチームが、

そんな立派な賞を貰えるほどのインパクトがあっただろうか。

開会式で息子のケツを触ってはしゃいでいた下級生の子(ナマケツ君)

に至っては、1回戦で土俵際まで追い詰められながら、器用に身体を

入れ替え紙一重で勝利した時は「バンザーイ!」と言ってジャンプして

喜び、2回戦で呆気なく負けた時は泣きながら土俵を降りて、その

可愛い天真爛漫さで観客を沸かしていたが、およそマナーや礼儀とは

縁遠い気がするし、他の3人も似たり寄ったりだった。


とにかく選考基準が謎のまま、全く予想外の有難い賞をいただいて

しまい、恐縮しきりだったが、アホほど米を食う我が家にとっては

5キロの米は無条件に感謝であった。


後日、個人懇談で相撲大会の話が出た時に、妻が、チームの監督を

務めた担任の先生に、何でこんな賞が貰えたのか聞いてみたそうだ

が、監督であった担任の先生も一応、息子の試合での態度は確かに

良かったと誉めてくれつつも、審査員の方々が実際何に感動して

選んでくれたかまではわからないと言っていた。


ただ・・・


6年生で誰も大会に出てくれる希望者がいない中、ウチの息子が

恥をかくのを承知で自ら引き受けてくれたおかげで、無理矢理に

他の子を指名せずに済んで本当に有難かったということ、そして

今回の相撲大会に限らず、5年生の時からいつも立場的に困って

いる時は、息子が出来る出来ないを考えずに率先して協力して

くれて、いつも助かっています、と、お礼を言って下さったらしい。

この言葉は親として嬉しかった。

1年経った今も、何で息子たちのチームが敢闘賞などという立派な

賞をいただけたのかは謎のままである。

しかし審査員の方々の中にはゲストで来てくださってた現役の力士

さんもおられたので、きっとこれは「トイレの神様」ならぬ、

「相撲の神様」からのご褒美だったのだろうと思うことにした。



閉会式で、副賞の5キロの米を持って写っている5人の痩せガエル

軍団の写真は、今も校長室に飾られているという。



これだけでも充分、1年間のいい思い出になるのだが、この

ささやかな奇跡はこれから起こる恩恵ラッシュの序章にすぎない

のであった。



「オトンは厄年、息子は当たり年」 三部作

第一部 「痩せガエル軍団の奇跡」 完


























痩せガエル軍団の奇跡 (後編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

ついに始まった「子供ずもう」大会!

会場では個人戦に先がけて、まず女子・団体の部が行われていた。

男子・団体の部までは、まだまだ時間があって廻し姿で会場内をウロウロ

していた息子に遭遇したので、とりあえず激励兼アドバイスを・・・

「おい、わかってるやろな、もうすぐ修学旅行やぞ、ケガとかしたらシャレに

ならんから、受身だけはちゃんとやれよ」

「ウッス」


・・・このバカ親父、なんちゅう情けないアドバイスしとんじゃ、と思われる

かもしれないが、開会式で勢ぞろいした各学校の選手たちの、およそ

小学生と思えないガタイを見てしまうと、親としては勝ち負け以前に

身の安全の確保を優先させざるを得ないのであった。


そしていよいよ息子のチームの1回戦。

これが、日々この大会の為に血の滲むような練習を重ねてきたとかなら、

まだ応援のしがいもあるのだが、ウチのチームはどう考えても勝ちを

狙ってる面子には見えなかった。

先鋒・次鋒・中堅・副将戦と、それなりの盛り上がりを見せつつ、ついに

大将である息子の登場!

「・・・」

土俵上で向かい合った両者は、まさに中学生と小学校低学年ほどの

体格差である。

果たして息子にそれをカバーするような策はあるのだろうか?


見合って見合って~はっけよーい・・・のこった!

ワーーーーーーーーーーーーーーー!!!という歓声、そして秒殺。

まさに秒殺!相手の子は息子の廻しの左右を掴むと、軽々と持ち上げ

土俵の外へ運ぶと、息子の身体を丁寧に「置いた」

それはまるで引越しのサカイのCMを見ているかのような鮮やかさで

あった。

息子も、ただ荷物のように運ばれるだけでなく、足をバタバタさせながら

脱出を試みていたが、観客の憐れみ誘っただけで、全くの無駄な抵抗

でしかなかった。が、まあ相手が紳士的な子でヨカッタヨカッタ

さあ、これで無駄なケガせずに終わって助かったー・・・・とはいかなかった。

何と息子チームは2回戦に進んだのだ! 

なぜなら・・・

大将である息子以外の、先鋒から副将までの4人は実は全員勝っていて

トータル4勝1敗だったのだ~!ひいぃぃ勘弁したってくれ~!


そして2回戦


フツーに考えれば1回戦より強い相手が来るだろう・・・

両チームがコールされ土俵を挟んで対峙する。

どうやって1回戦を勝ち抜いたかよくわからないウチのチームと違って、

相手側は上位を目指して日頃から練習してるのが、ひと目でわかる

風格を5人全員が漂わせていた。


実際、いざ戦ってみると全く歯がたたず、先鋒、次鋒、中堅、副将と見事に

全員、次々と敗れ去っていった。

中堅が負けた時点で2回戦敗退が決定していたのだが、勝負は大将戦

までキチッと行われる。


「おいマジか・・・何じゃコレ、ホンマに同い年か?」

土俵上で息子と向かい合った相手の大将は、1回戦の大将の子よりも

遥かに立派な体格で、ムシキングで例えると、コーカサスオオカブト対

ナナフシのようだった。

注) ムシキングにナナフシなんて出てこないわよ!(ニャアコ)

う~ん・・・また秒殺だなコリャ。

見合って見合って~はっけよーい・・・のこった!!

ガシッ!!

初戦の醜態で学習したのか、息子は簡単に廻しを取らせず、なんとか

組み合うことに成功し、形の上では一応、相撲をとってるように見えた。

が、「まさかの大金星?」という淡い幻想を抱く間もなく決着はついた。

圧倒的な体格差にも関わらず、奇策を用いるわけでもなく、無謀にも

正面からぶつかり、なまじ粘ったために今回は土俵の外に投げ飛ば

されてしまった。

「ま、初戦に比べりゃ頑張ったほうだな。充分善戦だわ」

もともと期待してなかったので、悔しいという気持ちは全くなかった。


土俵の外に投げ飛ばされた息子に、相手の大将の子が手を差し伸べ

起こしてくれていた。

それは貴乃花親方が現役時代、よく見た光景だった。

判官贔屓の日本人の典型である私は「憎らしいほど強い」貴乃花関

に対してアンチだったが、土俵の下に落ちた相手に手を差し伸べてる

彼の姿は好きで、尊敬もしていた。

この相手チームの子たちが優勝したらいいな、そんな清々しい気持ちに

なりながら、貴重な休日に用事を片付けるべく、熱戦の続く会場を

後にしたのだった。



イーライ   「さあ、ここから奇跡の逆襲が始まるんだね!」

イロドリ   「いや、試合はこれで終わりだよ」
  
一同     「え?」

チー     「あ、わかった!個人戦で快進撃とか?」

イロドリ   「個人戦も初戦で秒殺だったらしいぞ、見てへんけど」

ビジンダー 「え?じゃあ全然”奇跡”じゃないんじゃないの?」

ラム     「看板に偽りアリ、ね」

レミー    「コレ、今流行の捏造なの?」

ニルス    「こりゃ、息子自体もホントに存在してるのか怪しいぜ」

イロドリ   「アホか」

ニャアコ   「あんた、さんざん世話になってんのよ」

ニルス    「ニャハハ、冗談だよ」

イロドリ   「いや、ホントはこの後に、ささやかな奇跡が準備され

        てるんだけど、ちょっと長くなっちゃったんで、続きは

        次回、エピローグでってことで・・・すまぬ!」

一同     「エーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」



・・・と、いうわけで、今回の後編を楽しみにして下さってた方が、

もしいらっしゃいましたら、スミマセン。

次回エピローグで第1部完結にします。ゴメンチャイ。














痩せガエル軍団の奇跡 (前編) [オトンは厄年、息子は当たり年]

いつもニャアコ一家に会いに来て下さる皆様、

ホントにありがとうございます。

今回から暫くの期間、前回の予告でお知らせしました通り、

我が愚息の小学校卒業記念・感謝企画といたしまして、

「オトンは厄年、息子は当たり年」三部作でお楽しみ下さいませ。

(何でこんな誰得企画やってんのかは前回の予告編を見てね[黒ハート]




第一部 「痩せガエル軍団の奇跡」


昨年の春休み前だったか、当時まだ小学校5年生だった息子が

夕食時に驚くべき言葉を発した。

「俺、今度の子供ずもう大会に出ることになったから」


子供ずもう大会(仮名です)・・・

毎年、ゴールデンウィークあたりに行われる、小・中学生による

相撲の大会である。

これは単なる地域の行事の一つなだけではなく、東京で行われる

「わんぱく子供ずもう大会」の予選も兼ねており、県内から男子・

女子と個人・団体あわせて約200名近い選手が集結するという、

県民も大注目の由緒正しき大会なのであった。


毎年行われてるにも関わらず、全く関心がなかったので、どういう

参加要項なのか全然知らずに、軽い気持ちで息子に聞いた。

「ふーん・・・で、6年生はお前の他に誰が出るんや?」

「6年生、俺だけ」

「はあ~?他にもっとガタイのええ子がおるやろ?なんでわざわざ

お前みたいなガリガリ君が出るんや?どんな人選やねん!」

「何か、みんな”廻し”で出るんが恥ずかしいみたい」


そう、子供ずもうとはいえ本格的な大会なので選手は「廻し着用」での

参加である(あ、女子はもちろん体操ズボンの上からですよ)。

選手の保護者や親類などを合わせると当日の観客は数百名に上る、

普段から人前で本格的に練習してる子たちは別として、やはり

まだ小6とはいえ、数百名の観客の前で生ケツを出すのはさすがに

恥ずかしいというのも理解できんではないが・・・


「まあ、確かにお前は人前で平気でケツ出せる奴やからなあ・・・

にしても、いくらなんでもお前じゃヒョロヒョロすぎるやろ。

どうせ最初の1回戦で負けて終わりとちゃうんか?」

「うん、でも団体戦もあるからなあ」

「・・・団体って何人くらい?」

「5人、で、俺が大将」

「フハッ」


この時はここで会話が終わったが、後で息子から聞いた話によると、

息子も最初は出場する気などなかったらしい。

団体戦の大将は4月から6年生になる、現5年生から出さないと

いけなかったみたいで、出場するチームの監督は息子のクラスの

担任の先生だった。

で、どれだけ先生が呼びかけても誰も出たがらなかったので、

結局、息子が「先生が気の毒だから」という理由だけで立候補した

らしい。

うーむ、これが得意分野の陸上の競争とかならば、文句なしで

「アッパレだ!」と褒めてやれるのだが・・・

私の脳裏には既に大観衆の面前で、敵の大将に呆気なく秒殺

される息子のイメージが、くっきりと描かれていた。

いや、待て、投げ飛ばされて恥をかくだけならまだしも、打ち所が

悪くて骨折とかなったら・・・相撲大会の数日後には修学旅行が

控えているのだ!いや、その前に骨折とかしたら治療費とか誰が

出すんだ?などと、どんどんロクでもないマイナスの発想ばかり

湧いてくるので、考えるのは止めにした。


そうこうしてる内に春休みも終わり、長女は中2、次女は小3、

そして息子は6年生へとそれぞれ進級し、いよいよ「子供ずもう」

本番の日を迎えた。

別に見に行かなくても結果はわかってるので、最初から応援は

妻に任せるつもりでいたのだが、長女の吹奏楽部の発表会が

同じ日に大きなホールで行われるらしく、そっちに行くとの事で

結局、私が日曜日で仕事も休みということもあって、相撲大会の

応援に行くことになった。


当日は、見事なまでの快晴だった。

この日は子供ずもうの大会だけでなく、同じ会場で催し物や、

陸上競技の大会も同時に行われていて、大賑わいである。

春から新緑の季節へ、生命の輝きが満ち溢れる自然豊かな

会場に、これまた生命の象徴のような元気な子供たちの歓声が

響き渡る。

普段は人が多い場所は苦手なのだが、この時ばかりは、ただ

そこに居るだけで嬉しくなるような幸福感を満喫していた。


開会式が始まる直前、息子のチームを発見した。

「!」

そこには息子を含め、見事なまでに小さくて痩せっぽちな

少年力士が5人、監督を先頭に整列していた。

先鋒・次鋒・中堅・副将、そして大将である息子・・・

よくまあここまで揃いも揃ってヒョロヒョロばっかり集めたなぁ。

しかも何年生の子かしらんが、先頭に並んでる上級生で

大将の息子のケツをぺタぺタと触って喜んでる奴が居る!

「ウチの学校、勝つ気ねえなコリャ」


そしていよいよ開会式が始まり、ついに熱戦の火蓋が切って

落とされたのであったーーーーーーーーー!



果たして、この痩せガエル軍団が起こした奇跡とは!?

次回・後編へつづく


























オトンは厄年、息子は当り年 (予告) [オトンは厄年、息子は当たり年]

前日、我が町でも小学校で卒業式が行われ、6年生だった息子が、

無事、学び舎を巣立って行きました。

2年前に第一子である長女が卒業した時にも感じたことですが、

やっぱり6年間なんてホントに「あっ!」と言う間でしたね。


ごくごくフツーの子供として小学生時代を過ごした息子の6年間。

平凡ながらもいろいろとありましたが、去年の春に6年に進級し、

前日卒業式を迎えるまでの6年生としての1年間は、親からすると

愚息にとってはあまりにも出来すぎで恵みの多い1年でした。


・・・と言っても別に全国レベルで立派な成績を残したとか、そんな

たいそうなものではなく、あくまで学校内とか、せいぜい地域の

行事レベルの話なんですが、それでも、とりたてて秀でた才能が

あるわけでもないのに、わずか1年の間にあれやこれやと表彰され、

まさに「当たり年」という感じで、何だか申し訳ないくらいの恩恵を

受けておりました。


一方、父親である私はと言えば、さんざんこのブログでも書いてた

通り、後厄の影響か、6月を迎えたあたりから次々と立て続けに

災難に見舞われ、弁償やら修理やら謝罪やら通院の日々を送って

いたのですが、卒業式での息子の晴れ舞台を見てると、そんな

受難の日々も何だか救われるような清清しい気分になりました。


そういうわけで、親バカと呆れられるかもしれませんが、次回から

暫くは、祝・卒業記念企画といたしまして、

「オトンは厄年、息子は当たり年」三部作を予定しております。

究極の「誰得?」企画ですので、奇特な方は覗きにきてやって

いただければと思ってます。

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さ~て来週からの「手の折れた招き猫」は・・・?

「痩せガエル軍団の奇跡」

「走れ息子」

「続・身分相応の幸福」

の、三部作です。

つまらなかったら途中でやめてもいいわよ[黒ハート]ウフフ・・・

イロドリ      「コラ!いらんこと言うな、この偽サザエさん!」

謎の美少女猫  「来週もまた、見て下さいねー[黒ハート]んがくく」
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