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運動会狂想曲 (ニャアコの回顧録・9月) [ニャアコの回顧録]

平成24年9月

おはぎ4姉弟、生後7ヶ月。


お盆が終わってから9月にかけて、町内の体育部長としての忙しさがピークを

迎えようとしていた。

わずか40日あまりの間に、町内の地蔵盆、地区のソフトバレーボール大会

町内の運動会、地区の運動会と4つの行事をこなさなければならなかったのだ。

仕事が終わってから何度も部会を開いたり、地区の体育部長会に参加したり、

運動会のプログラム作り、選手になってくれそうな人への声かけ、毎日毎晩

多忙を極め、あまりの忙しさに、ニャアコと出会った1周年を祝う暇すらなかった。

どこからともなくやって来た黒猫と、田舎の秋を満喫しながら夢のような時間を

過ごした前年とはえらい違いだった。


このころの記事を見てみると面白いことに、疲労のピークに達してるにも関わらず

我がブログに訪れてくださる方が日に日に増えていくという不思議な現象が

起きていた。体は疲れていたが、気持ち的には妙に高揚してたのかもしれない。


で、地蔵盆とソフトバレーを、かろうじて何とか乗り切っていよいよ最大の難関、

町内の運動会が近づいてきた。

規模の大きさでは最後の行事となる「17地域対抗の、地区の運動会」のほうが

はるかに大きいのだが、何から何まで全て体育部長がプロデュースしなければ

ならない町内の運動会のほうが比べ物にならないくらい大変だった。

半年以上も前から会場を確保し、8月に入ってからは他の行事と平行しながら

準備をして、9月になると何度も徹夜をしながら当日に備えた。

何故か10数人いるはずの体育部員は前体育部長を含め全く手伝ってくれなかった。

そして迎えた運動会当日。

一睡もせずギリギリまで賞品の買出しなどをして準備に奔走したにも関わらず、

いざ始まってみるとかなりの不手際が目立ち、現場は混乱していた。

そのうち部員がキレて「何でわからない事は部員に聞いてくれなかったんだ!」と

私に対して罵倒し始めた。

いやいやいやいやお前らの方こそ勝手のわからないような者を無理矢理に部長に

しておいて何で協力はおろかアドバイスすらしないんだよ。そんなもんわかるわけ

ねえだろうが、ボケ!と言い返してやりたかったが、既に町内会長の開会の挨拶が

始まっていたので、もうそのままやっていくしかなかった。

終始、目を覆いたくなるような不手際の連続だったが、どうにかこうにか無事に

運動会は終わった。

なんとも理不尽で、ヒムロックで例えると「蔑みと憐れみに縛られた夜ー♪」ってな

感じだったが、せめてもの救いは裏方の惨状をよそに、参加した町内の皆さんが

「いい運動会だったよー」と喜んでくれたことだった。


そして、この2週間後に行われるはずだった地区の大運動会が、台風で中止に

なった為、これが体育部長としての最後の行事になった。














託された未来 (ニャアコの回顧録・8月) [ニャアコの回顧録]

平成24年8月

おはぎ4姉弟、生後6ヶ月。


「東雲(しののめ)よ、見たか。あの子たちの目を」
鐡造は言った。
「瞳が輝いておる。あの子たちは二十一世紀の日本を支えていく子供たちだ」
「はい」
「ぼくはもう二十一世紀を見ることはないが」
「三十五年後ですから、私も見ることはありません」
二人は笑った。
「どんな国になっているでしょうか」
「日本人が誇りと自信を持っているかぎり、今以上に素晴しい国になっておる」
鐡造はもう一度甲板に目をやると、歓声を上げている少年少女たちを、まるで
宝物を見つめるようにいつまでも眺めていた。

                         「海賊とよばれた男」(百田尚樹・著)


昨年のお盆直前の8月某日、小説「永遠の0」の著者である百田尚樹先生の

講演会に参加してきました。


ただでさえお盆前で帰省が始まり電車が混むような時期に、病み上がりのお体

で食堂はおろか自販機すらないローカル電車に長時間揺られて、この片田舎

まで来て下さったみたいで、到着も講演会開始ギリギリだったらしく、先生は

ちょっとお疲れのようでした。

講演会の内容は「海賊とよばれた男」が発刊された直後ということもあって

殆どがそのお話でしたが、こんなにすごい人を歴史に埋もれさせるわけには

いかないという気持ちで、入院中も出血しながら執筆し続けたと語られ、

「出光石油の創始者である出光佐三という男の生き様と功績を何としてでも

世に伝えなければ!」という、小説家としての使命や執念を感じました。


好き嫌いは別として、百田先生のスゴイところは、作品のジャンルの多彩さだと

思います。

戦争モノ、時代劇、虫の世界、ボクシング、整形などなど・・・

まったく違うジャンルに挑戦してゆく姿勢は漫画家で例えるなら手塚治虫先生

や石ノ森章太郎先生みたいな感じでしょうか。


「海賊とよばれた男」に関しては、もう読まれた方も沢山居られるでしょうから

あんまり詳しくは書きませんが、この作品は燃えますねえ。

なんていうんでしょうか私が言うと逆に薄っぺらに聞こえるんであんまり書きたく

ないんですけど、一言で言うなら出てくる人が男も女も「真似の出来ない生き様」

なんですよ。ホントにかっこいい!

文章は実に淡々と書かれてるんですけど、妙に主人公アゲアゲじゃないから

素直に感情移入出来て、勝手に涙が出てくるという不思議な感覚でした。

もちろん、ノンフィクションとは言っても完全に事実だけを書いてるわけではない

でしょうし(まず主人公が出光佐三という本名ではない)、必ずしもこういう生き方

が正しいとは限らないでしょうし、当然、読んで面白くない(自分に合わない)と

思われる方もおられるでしょうが、読んでみて損はないと断言します。

上下巻を通して困難と名場面の連続ですが、個人的にはこの記事の冒頭に書いた

シーンが一番好きです。

「永遠の0」もそうですが、未来のために命懸けで国を愛して守って下さった方がた

のおかげで今の自分があると思うと「俺ももうちょっと頑張らんとな」という気持ちに

なれるんですよねえ。


何だか毎日の寒さと疲労で支離滅裂な文章になって、かえって営業妨害になったり

して・・・百田先生、スミマセン。


<さらにお詫び>
前回の記事で、おはぎ4姉弟の誕生日を2月14日と書いてしまいましたが、正しくは
2月17日です。コメントくださった のらんさんゴメンチャイ。


















願望と現実と (ニャアコの回顧録・7月) [ニャアコの回顧録]

平成24年7月

おはぎ4姉弟、生後5ヶ月。

もうこのころになると毎日が深夜の運動会だった。


ニャアコがまだ4姉弟を出産する前・・・

生れてくる子供たちはどんなだろう、黒猫が何匹かいてくれたらいいなー、と漠然と

思っていた。

本屋で立ち読みで見た猫の本によれば「黒猫は白や他の種類よりもおとなしい」

と、書いてあった。

もちろん世界中の猫がみんなそうではないのは猫ビギナーの私でもわかっていたが

ニャアコを見てると、あながち嘘ではなさそうだった。

ニャアコは我が家に来てから絶対に家を汚さなかったし、深夜の散歩に出たがる

以外はおとなしかった。

ノラ時代に我が家へ強引に突入してきた「女傑モード」の時でさえ、爪や歯を向ける

ことはなかった。

そんな利口なニャアコの子供だから、たとえ体の色の何色でも、きっと、いい子に

違いないと確信して、生れてくるのを楽しみにしていた。

そして・・・

2月に生れた子供たちは、すぐに亡くなった子も含めて5匹全部が見事に真っ黒だった。

一般的にみてどれくらい珍しいかはわからないが、全員黒猫というのは驚いたし

嬉しかった。


しかし喜んだのも束の間・・・

月を追うごとにおよそニャアコの子供とは思えぬヤンチャぶりで4姉弟は、借家である

我が家をボロボロにしてくれた。

深夜の運動会と、仁義なき姉弟喧嘩で襖には巨大な穴が開き、障子は全て破られて

さらに骨組みだけになった格子でラムやチーが爪を研ぐという、目を覆いたくなる惨状で、

しかもバカ息子イーライは所構わず放尿するという無法ぶりだった。


まあ、きっと1匹か2匹だけなら多分おとなしかったのかも知れないが、4姉弟まとめて

面倒見ると決めたので仕方ないと諦めるしかなかった。


そんな4姉弟も来週14日で満1歳。

とりあえずは元気でいてくれて、ひと安心というところだろうか。

(つづく)

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爪とぎの現行犯


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イーライの放尿被害




















忍び寄る悪意 (ニャアコの回顧録・6月) [ニャアコの回顧録]

平成24年6月

イーライの放尿癖に頭を痛めつつも春から初夏にかけて、4姉弟はスクスクと育っていった。

冬の寒さが嘘のような、生命の息吹に満ち溢れた眩しい季節の到来だった。

小学校を卒業するまで自転車に乗れなかった長女も、さすがに中学校入学すると

広がってゆく行動範囲や、通学のカバンの重さに徒歩では対応出来なくなり、家の前の

空き地で自転車に乗る練習をしていた。

その光景はまるでドラえもんの「ウマタケ」の話で、外が暗くなるまで自力で傷だらけアザ

だらけになりながら竹馬の練習をしている、のび太のようだった。

そしてその姿を、リードに繋いだニャアコと一緒に日が暮れるまで見守るのが帰宅後の

私の日課になっていた。


相変わらず我が家は貧乏ではあったが、家族も病気や怪我をすることもなく慎ましやかに

過ごしていたのだが、唯一心配のタネがあった。


職場のことである。


「はたらくおっさん編」で書いてきたように、私は現在、清掃会社に勤め、某総合病院

派遣されて朝から夕方まで10数人のパートさんを指示しながら院内の清掃の責任者として

働いてるのだが、まるで清掃員を奴隷のように酷使する病院職員や、契約を切られるのが

怖くてその惨状を見てみぬフリをする会社に耐え切れず、着任したばかりの「違いのわかる」

新・看護部長に直訴し、紆余曲折の末に「労働条件の改善」を去年の1月に勝ち取った

ばかりだったが(詳しくは「はたらくおっさん編」を見てね[黒ハート])、なんともうその直後から

1人のパートの異常なまでに歪んだ悪意によって私の知らないところで職場が蝕まれて

いっていたのだ。

そしてそれは年が明けた平成25年の現在になってもまだ解決しておらず、今度はもう

私が辞める覚悟で、近々、会社と対決することになっている。

どのような結末になるかはわからないが、ケリがついたら「続・はたらくおっさん編」として

記事にしようと思う。

(つづく)

小便小僧と愛しのビジンダー (ニャアコの回顧録・5月) [ニャアコの回顧録]

同じ日に生れた4姉弟だが、3ヶ月も経つとそれなりに各々の個性が出てきた。

大きく分けると「ウチの家族に懐いてる派」が、チーとビジンダー。

「全く近寄らず、日中どこに居るのかわからない派」が、ラムとイーライ。

まあ、どちらも眺めている分には可愛くて飽きがこなかったが、このころから重大な問題が

起きはじめていた。

イーライの放尿癖である。

排泄はちゃんと猫トイレで出来るのだが、何故かシッコは布団や衣服にするのだ。

しかも日頃たいして懐いてもいないのに、洗濯が終わって畳んである衣服に小便した日には

妻の怒りも凄まじく「今度やったら遠くに捨ててくるからね!」とブチ切れていた。

さすがに猫と暮らすことになった責任は120パーセント私にあるので、何も言い返せず、

いたたまれない気持ちで朝飯を食べていると、どこからともなくビジンダーがやってきて

私の胡坐の中に入ってくるのだ。

それだけでもオジサン相当メロメロになるのに、そのままスヤスヤと寝てしまおうものなら

「あー、もう堪らん!今日、仕事行くのやめてずっと、こうしとくぞー!」

と、決意せずにはいられない可愛さだった。

勿論、そんなアホな事が許されるわけもなく、泣く泣く出勤するのだが、これにチーまで

便乗して二匹で一緒に寝てる姿は、真剣に

「時間よ止まれ!ザ・ワールド!」とスタンドを発動させたくなるくらいの至福の時だった。

その後、数ヶ月、思春期だったのかあんまり近くに来てくれなかったが最近また胡坐の中に

座ってくれるようになった。

ただ、今ではニャアコ並みの大きさに成長してるので仔猫が膝に乗ってるというより、何か

ウクレレを弾いてるような妙なデカさに感じてしまう。

それでも可愛いことには変りないんだけどね。

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「幸せだなあ、僕ァ君たちと居る時が一番幸せなんだ。
よし、今日は仕事に行かないぞ!いいだろー?」

「アホか」(妻)







ヒア・ゼア・アンド・エブリウェア (ニャアコの回顧録・5月) [ニャアコの回顧録]

「おい、ニャアコ、そんなとこに寝てたら踏んでまうぞ、危ねえなあ。」

シーン

「・・・」

よく見るとそれは脱ぎっぱなしにしていた黒いトレーナーだった。


「お、ビジンダー、こっちおいで、チッチッチッ」

シーン

「・・・」

ビジンダーだと思ってたそれは、娘の黒い靴下だった。

そうかと思えば畳んで置いていた T シャツに手を伸ばした瞬間、突如ムクッと起き上がり

走り去っていったり、てっきり黒いタオルを吊るしているのかと思っていたら いきなり

「ニャー」と声を発して驚かされたりした。


昨年2月に生れた、おはぎ4姉弟が自由自在に我が家を闊歩するようになってからと

いうもの、日常的にこのような光景が繰り広げられていた。


親も子も整理整頓が苦手な5人家族に、親も子も真っ黒な5匹家族。

ここにも、そこにも、そこらじゅうに・・・

しょーもなくも新鮮な驚きに満ちた日々であった。

(つづく)









中学校の入学式(ニャアコの回顧録・4月) [ニャアコの回顧録]

話は前後するが、4月には長女の中学校入学式があった。

その前に小学校の卒業式があるのだが、こちらは以前「身分相応の幸福」という記事

に書いてるので割愛する。


長女が生れたのは1999年12月、新たなる1千年へと西暦が変わろうという直前

であり、世はまさにミレニアムフィーバーだった。

巷では宇多田ヒカルさんが彗星の如く登場し、町中にモー娘の「LOVEマシーン」が

流れて浮かれモードだったが、個人的には子供が出来たということで99年最後の最後

になってノストラダムスの予言が的中したり2000年になると同時に世界中の電気が

ストップするという噂(Y2Kでしたっけ?)が現実に起こったらどうしようなどと、

若干不安を感じてた記憶がある。

何より98年の終わりにこの地に引っ越してきてそうそう、人に騙されて多額の借金

背負ってしまっており、現実的に「世紀をまたにかけた」という感慨より混沌とした

気持ちのほうが大きかったような気がする。


そしてそれは長女の子育てにも少なからず反映していたようだった。


以前の記事にも書いたが、保育園から小学校の低学年までは何に対しても異常なまでに

怖がりで、言動も奇天烈なものが多く、果たして普通学級に通わせていて大丈夫なの

だろうかとウチの両親までもが心配するほどだった。


ところが3年・4年の時の担任の先生がよほど相性が良かったのか、長女の知られざる

能力を上手に引き出してくれて、別人のように積極的になり、常に自信を持てるように

なった。以来担任が代わった5年生以降も元に戻るどころかますます色んなことに挑戦

するようになる。

さすがにこのときほど「人の出会い」の大切さを実感したことはなかった。



こうして無事に小学校を卒業し、中学校の入学式を迎えるのだが 式の数週間前から

長女からさんざん釘をさされていた事がある・・・

「お父さん、私の入学式で、絶対に居眠りせんでよ!」


実は前年、次女が小学校に入学した際、入学式の最中に保護者席の最前列で爆睡して

いたのだ。

当時、6年生で在校生側の席の最前列から妹の入学式を見ていて、保護者席の最前列で

豪快に船を漕ぐ禿げかかったおっさんが自分の父親だったというのが、余程ショック

だったらしい。まあ、まだ「絶対来ないでよ」と言われないだけマシだった。



そうして迎えた長女の中学校の入学式

あいにく天気は良くなかったが式の最中に眠ることもなく無事に終了し、いよいよ

希望と不安の中、長女は中学生活をスタートしたのだった。


娘にはこれといった入学祝いはしてあげられなかった

ただ1つ「ある有名な言葉」を便箋に可能な限り丁寧な字で書き綴って贈った。

果たしてどれくらい心に響いているかはわからないが、娘はその言葉が書かれた便箋を

今も勉強机に貼って、事あるごとにそれを見て自分を奮い立たせているという。


「ニャアコの回顧録・4月編」完




ちなみに・・・

その「ある有名な言葉」とは米国プロバスケNBAの伝説の選手、マジックジョンソンが

語ったと言われている名言です。まだPCが家になかった頃、たまたまケータイの

スポーツのサイトで見つけて急いで書きなぐってメモに残しておいたものでした。

この言葉は相当有名なものらしく、その後いろんなところで見かけるので、皆さんも

おそらくご存知かもしれませんが、今回、いつも訪れてくださる感謝の気持ちを込めて

敢えてここで皆さんにも贈らせていただきたいと思います。



「君には無理だよ」
と、言う人の言う事を聞いてはいけない
もし自分で何か成し遂げたかったら
出来なかった時に他人のせいにしないで自分のせいにしなさい
多くの人が僕にも君にも「無理だよ」と言った
彼らは君に成功してほしくないんだ
なぜなら彼らは成功出来なかったから
途中であきらめてしまったから
だから君にもその夢をあきらめてほしいんだ
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ
決してあきらめてはダメだ
自分のまわりを野心であふれプラス思考の人でかためなさい
近くに誰かあこがれる人がいたら
その人にアドバイスを求めなさい
君の人生を考える事が出来るのは君だけだ
君の夢が何であれ それに向かっていくんだ
何故なら
君は幸せになるために生れてきたからだ。

                    マジック・ジョンソン




















忍者部隊 黒猫・後編 (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

一度 壁を乗り越えると、もう次の日から4姉弟は箱から勝手に出るようになった。

確かにいくら特大のダンボール箱といっても生後2ヶ月近くなると体も結構大きく

なるので、一家5匹で寝起きするには手狭になってきていた。

それでも、自力で出る事は出来てもさすがに戻ることは無理みたいだったので、仕事や

学校で家族が出払った後は心配だったから、まだしばらくダンボールハウスで留守番を

させておこうと、更にダンボール紙を貼り付けて壁を高くした。


・・・が、無駄な抵抗だった

牛若丸が、毎日伸びてゆく竹を飛び越えて、源義経になった時のジャンプ力を培った

ように、ちょっとずつ壁を高くしていっても次の日にはもう這い上がって脱走してる

のだ。

4姉弟の父猫はどんな奴かは知らないが「ここ一番、やる時はやる」というニャアコの

身体能力は受け継いでいるようだった。


もう何度も何度も書いているが、かつてニャアコは・・・

まだウチに餌を食べに遊びに来ていた野良猫だった頃、どんなに私や子供に懐いても

「絶対にウチでは飼えない」と家の中には入れなかったのだが、雨が激しく降っていた

ある真夜中、外からジャンプして地面から高さ1メートルのガラスの割れた箇所を、

塞いでいたダンボール紙をぶち抜いて潜り抜けて我が家に侵入してきたのだ。

戸締りをして家族が寝静まった真夜中に、居るはずの無い黒猫がズブ濡れで部屋の中に

当たり前のように座っているのを見た時はさすがに心臓が止まりそうだった。

何がすごいといってニャアコは初めて会ったときからすでに前脚が1本折れていて

ブラブラの状態だったのだ。


・・・ニャーニャーと鳴きながら次々と箱をよじ登ってこえてゆく仔猫たちを見ながら

こいつらはそんな烈女のDNAを受け継いだ子供たちなのだと先が思いやられた。


そして遂にダンボールハウスも呆気なくお役ご免になる日がやってきた。

ガムテとダンボール紙で継ぎ足し継ぎ足ししていただけなので強度がほとんどなかった

うえにニャアコが豪快に出入りするので耐え切れなくなって、ドリフのコントのように

崩壊してしまったのだ。まったく予想外の早すぎる終焉だった。


こうして解き放たれたニャアコ一家は名実共に我が家の「同居人」となった。

5人家族と5匹家族の共同生活・・・それは7ヶ月前まで猫に触ったこともなかった

人間にとっては想像を絶する連続の幕開けだった。



「忍者部隊 黒猫」完











忍者部隊 黒猫・前編 (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

カリカリカリカリ・・・

「ニャーニャー!」

カリカリカリカリ・・・

「ニャー!ニャー!」

うるせーなー何の音だ?てか今何時だよ・・・

時刻は午前2時すぎ、うるさい音の主は、おはぎ4姉弟が特大のダンボールの「家」

の中で騒いでる音だった。


・・・今から7ヶ月前の4月、生後2ヶ月になろうかという4姉弟もすっかり一丁前に

自我が芽生え、日中は我が家を所狭しと暴れまわっていたが、家族の留守中や夜は

変な場所に入り込んで出られなくなったら困るのでホームセンターからもらってきた

特大のダンボールに入れておくことにしていた。

最初の頃は4匹ともおとなしく寝ていたのだが、夜中、ニャアコがダンボールを抜け

出して家中を徘徊するようになると4匹が母を求めてか一斉に鳴き出し、ダンボールの

壁を爪で引っ掻くようになった。


静まり返った真夜中にダンボールを爪で引っ掻く音は、結構響くものである。加えて

4匹が一斉に鳴くので狭い我が家では大変な騒音なのだが、5人家族の中でそれを

気にするのは私だけで、妻と3人の子供たちは何故か平気で熟睡していた。

それでもあんまりうるさいので起こしたら可哀想だと思い、ダンボールハウスを

誰も寝ていない部屋へ移すと、今度はニャアコが4姉弟を心配してダンボールの中に

文字通り豪快にダイブして戻るのだ。

それでこのまま仔猫たちとずっと一緒に居てくれたら私も安心して寝れるのだが、

しばらくするとまたダンボールの外に出るニャアコ、そして一斉に鳴き出す4姉弟。

延々これの繰り返し。

しかも、ただダンボールの壁を闇雲に引っ掻いているだけのように思っていたら何と

彼らは自力で壁を登り、今まさに乗り越えようとしてるではないか!


息子や娘には「人生の壁」を自力で乗り越える人間になってもらいたいが、おはぎ

4姉弟にはまだダンボールハウスの壁を越えてもらっては困るのだ。やめろー!


願いも虚しく1匹また1匹と脱出してゆくチビたち・・・

どうやら兄弟を互いに踏み台にしながら壁を乗り越えていってるようだった。

その証拠に最後まで残った1匹はさすがに自力では乗り越えることが出来ず箱の中に

取り残されてしまっていた。

もちろん私も指をくわえて眺めていたわけでなく箱から出ないように蓋をしたり、

脱走したチビを追いかけて箱に戻したりしたのだが、なにせ4姉弟の鳴き声の

激しさと、ニャアコの謎の行動ですっかり参ってしまった。


時刻はもう午前4時すぎ・・・

出勤まであと1時間半、力尽きた私はまるで育児ノイローゼ寸前の新米ママのように

床にへたり込み 途方に暮れながら、分身の術よろしく跳ね回る ちびっ子忍者たちの

勇姿を眺めるしかなかった。


(後編につづく)































With (ニャアコの回顧録・平成24年4月) [ニャアコの回顧録]

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生れる前に僕は夢みた

誰が僕と寒さを分かちあってゆくだろう

時の流れは僕に教えた

みんな自分のことで忙しい と

誰だって旅くらい ひとりでもできるさ でも、

ひとりきり泣けても

ひとりきり笑うことはできない

With・・・そのあとへ君の名を綴っていいか

With・・・淋しさと虚しさと疑いとのかわりに

With・・・そのあとへ君の名を綴っていいか

With・・・淋しさと虚しさと疑いとのかわりに

With・・・

僕のことばは意味をなさない

まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね

けれど

With・・・そのあとへ君の名を綴っていいか

With・・・淋しさと虚しさと疑いとのかわりに

With・・・そのあとへ君の名を綴っていいか

With・・・淋しさと虚しさと疑いとのかわりに

With・・・


♪「With」中島みゆき歌詞は2番のものです)


  ★      ★      ★      ★      ★       ★


こうして危うく離れ離れになるところだった4姉弟は、母親ニャアコと共に

我が家で暮らすことになった。

果たしてこれから先、どのような日々を送ることになるのだろうか。


「利口なニャアコから生れた子供たちだから、きっと大丈夫だろう」


・・・そんな甘っちょろい期待は呆気なく打ち砕かれ、およそ平穏とは程遠い

生活が待ち受けているとは、この時はまだ想像も出来なかったのだった。


「おはぎ4姉弟、離散危機!編 」完





お・ま・け

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ビジンダー 「クロレンジャー!」

チー    「クロレンジャー!」

イーライ  「クロレンジャー!」

ラム    「いつまでやっとるんジャー!」

一同    「4人そろって!おはぎ4姉弟!これからもよろしくね[黒ハート]


ニャアコ  「この写真って半年前の記事の使い回しよね・・・」

irodori 「ガハハハ・・・なんでバラすんジャー!」

今週も皆さんにとってよい一週間になりますように[黒ハート]






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