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雑感 「落ちぶれて 袖に涙のかかる時・・・」 [雑感]

今から30数年前、私がまだ小学生だった頃、住んでたマンション

エレベーターの中を修理したか何かで、ドア以外の3面に ベニヤ板が

貼り付けられていた事があった。

どれくらいの期間、貼られていただろうか、結構長かったような記憶がある。

ある日、そのエレベーターに乗った時に、ベニヤ板に、エライでかい文字で

落書きがしてあった。


「落ちぶれて 袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる」


何だこれは・・・当時まだ小学校の高学年にもなってなかったと思うが、

そのシュールな空間が妙に可笑しくて、子供ごころに

「これをわざわざ エレベータに落書きする必要があるんかーい!」

と、ツッコミながらも、そのセンスに感心したのを覚えている。


何でこんなこと、急に書いたかというと、この一節、私てっきり


落ちぶれて 袖に涙のかかる時、人の「情け」の奥ぞ知らるる 


だとばかり記憶してたのだが、あらためて調べてみると、人の「情け」では

なく、人の「心」だった。

さらにこの唄の内容も、今までずーっと、

「自分が落ちぶれた時に、他人様の親切がいかに有難いかがわかる」

という意味だとばかり思っていたんだが、実際は、

「自分が裕福な時は、周りはチヤホヤしてくれるが、いざ落ち目になると

誰も見向きもしてくれなくなる」

という、まさに杜子春の話のように実にシビアな内容らしい。

う~ん、そうだったのか!知らんかった・・・


私は30数年間ずっと間違った文章と、内容を信じ込んでいたのだろうか?

それとも書いた本人自身が間違ったまま記憶してしまってたのだろうか?

あるいは案外、私が間違って解釈してたように、書いた人が、いざ自分が

落ちぶれてみて初めて他人様の人情の温かみに触れた感動で、敢えて

オリジナルをアレンジして、マンションの住人にその感動を伝えたくて

ベニヤ板に書き記したのか・・・


いずれにしても今となっては永遠の謎であり、まあそれ以上に、別に

どうでもいい話なのだが・・・。


IMG_20140114_193732.JPG

正式には


落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる

朝日を拝む人あれど 夕日を拝む人はない


という、鹿児島県の「串の木さのさ」という民謡の一節だそうです











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野の百合

落ちぶれて 袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる。 私は戦後まもなく母からこのうたを習いました。その時、母が教えてくれた意味は
「日ごろ友達だと思っていた人でも、自分が落ちぶれた時、離れていく人と、親身になってくれる人がいる。落ちぶれた時こそ本当の友達が誰だかわかる」
by 野の百合 (2017-04-04 19:49) 

irodoriusagi

野の百合さま

コメントありがとうございます。
自分が落ちぶれた時、離れていく人と、
親身になってくれる人が居る。

離れる人だけじゃなく、親身になってくれる
人がいるかもしれない。と、言うほうが
まだ救いや希望を感じますね。

3年前の記事を見つけて下さっただけでなく
コメントまで下さり有難うございます。
本当に嬉しいです。
by irodoriusagi (2017-04-06 18:35) 

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